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71番 福山城(広島県) [日本100名城めぐり]

平安時代、備後国の杉原保に、常興寺という寺が建てられました。

時は下って江戸時代、この地を与えられた徳川家康の従兄弟の水野勝成が、毛利氏などの西国外様大名を抑えるために、常興寺を移してその跡地に城を築きました。
これが福山城です。
建築に当たっては、鉄板を張った、最強の守りと呼ばれる天守、京の伏見城から移築した伏見櫓や筋鉄御門が建てられました。
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水野氏は5代続きましたが、跡継ぎがなく断絶してしまったので、その後松平忠雅、次いで阿部正邦が入り、その後は阿部氏の統治が続きました。

幕末に登場した7代・正弘は、若くして幕府の老中首座に上り詰めました。
折しもその頃、ペリーの黒船艦隊が来航し、その圧力に屈する形で正弘は日米和親条約を結びました。
これにより、日本国内は攘夷派、開国派に分かれ、大混乱することになります。

正弘の死後、攘夷派の中でも特に長州藩の活動が活発になってきました。
幕府は長州藩を討つために二度の長州征伐を行いますが、二度目の長州征伐では薩摩藩と同盟を結んだ長州藩により撃退され、その3年後に長州藩によって福山城が攻撃されます。
やがて王政復古の大号令が発せられ、福山城は新政府軍によって侵攻を受けました。
福山城は連日の砲撃を受けますが、福山藩首脳陣の奔走により、本格的な総攻撃が始まる前に恭順が許されました。

明治時代になると多くの建造物が破却されますが、天守、伏見櫓、筋鉄御門などは残りました。
しかし昭和時代の太平洋戦争の時、アメリカ軍の福山大空襲によって天守は焼失してしまいました。

昭和41年に、福山市の市制50周年記念事業として天守が復興されました。
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この天守内に100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り15城

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