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9番 久保田城(秋田県) [日本100名城めぐり]

戦国時代、神明山に三浦氏が「鎗留ノ城」「矢留ノ城」と呼ばれる城を築きました。

関ヶ原の戦いのとき、東軍に付くとも西軍に付くともはっきりしなかった佐竹義宣は、戦後出羽国に減俸転封になりました。
その後、江戸時代に入って神明山に窪田城を築きました。
佐竹氏には石垣作りに精通した者がいなかったため、城は土塁作りとなっており、また、江戸幕府への遠慮から、天守は築かれませんでした。

寛永年間には、本丸が全焼し、再建されました。
その後、窪田城は「久保田城」と表記されるようになります。
宝暦から安永年間頃に、二ノ門の開閉の管理と城下の警備、火災の消火等を担当する物頭の詰所として、御物頭御番所が建造されました。
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しかし、安永年間に再び本丸が全焼し、また再建されました。

明治に入って、戊辰戦争の頃、東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結成して新政府軍に対抗しましたが、久保田藩は新政府側に付きました。
それで、庄内藩、盛岡藩が城下に向けて攻め込んできましたが、仙台藩、米沢藩の降伏を受けて、城を攻められる前に撤退しました。

戦後、久保田城は存城となったのですが、明治13年にまたも大火が発生して、御物頭御番所等を残してほとんどの建造物が焼失しました。
その後、城跡は佐竹氏に返還され、うち本丸・二の丸を秋田市が借り受け公園となりました。

平成元年には御隅櫓が復元されました。
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平成13年には本丸表門が復元されました。
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御隅櫓および、城内にある秋田市立佐竹史料館に100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り14城


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