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65番 月山富田城(島根県) [日本100名城めぐり]

平安時代、平景清が富田荘に来た時、八幡社を移して、月山富田城を築城しました。
本丸には、勝日高守神社が建てられました。
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鎌倉時代、承久の乱の功により、佐々木義清が出雲・隠岐2国の守護となり月山富田城に入りました。

南北朝時代には、佐々木氏の高氏が守護となり、吉田厳覚を守護代としました。
しかし、厳覚は山名時氏と戦って破れ、山名氏領となりました。
やがて山名氏の満幸は明徳の乱で敗れ、佐々木氏の末裔である京極高詮が守護となり、甥の尼子持久を守護代としました。

戦国時代には、尼子氏の経久が追放されますが、不意を衝いて奪回し、その後月山富田城を拠点として出雲国の実質的支配者となりました。
経久は隣国安芸国(今の広島県)の毛利元就と激しく対立しますが、やがて家督を甥の晴久に譲ると没します。
経久の墓地は城下の洞光寺にあります。
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晴久の代には大内・毛利連合軍に攻められますが、晴久の弟・国久の奮戦によって撃退しました。
やがて晴久が急死し、その子・義久が家督を継ぎます。
しかしこの頃になると毛利氏の力が絶大なものとなっており、やがて城に攻め込まれて、凄絶な兵糧攻めの後に落城します。
その後、尼子家旧臣山中幸盛(鹿之助)が城を攻めますが、撃退されました。

江戸時代に入ると、関ヶ原の戦いで軍功のあった堀尾吉晴にこの城が与えられますが、その子・忠晴が松江城を築城して移ったため、月山富田城は廃城となりました。

時代は下って、平成8年には当時の侍所であった花ノ壇が復元されました。
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安来市立歴史資料館に100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り8城。

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