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1番 根室半島チャシ跡群(北海道) [日本100名城めぐり]

日本が古墳時代だった頃、アイヌモシリ(現在の北海道と樺太、千島列島)に住んでいたアイヌは狩猟を中心とした、オホーツク文化の影響下にありました。
この頃、アイヌは竪穴式の住居を使用していました。
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やがて擦文文化時代を経て、アイヌ文化時代に入りました。
日本が戦国時代だった頃に近世アイヌ文化時代に入り、アイヌたちは「チャシ」という施設を各地に造り出しました。
最初は聖域として設けられたものでしたが、やがてアイヌ同士のチャランケ(アイヌ社会における裁判のようなもの)の場という色合いが強くなってきました。

アイヌは和人(大和民族)と交易を行っていましたが、日本が江戸時代に入ると、アイヌとの交易は松前藩が独占するようになりました。
これが段々アイヌにとって不平等なものになってくると、寛文年間にメナシクル(東蝦夷地)の首長・シャクシャインが多くのアイヌ部族を率いて一斉蜂起を起こしました。
この頃に、現在の根室地方など、シャクシャインの勢力下にあったメナシクルに軍事施設として大量にチャシが造られました。
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この反乱は幕府や東北諸藩の支援を受けた松前藩によって鎮圧されましたが、これ以降松前藩の支配はさらに強まり、アイヌは強制労働者になっていきました。
これに対して寛政年間にクナシリとメナシのアイヌたちが蜂起し、和人71人を殺害しました。
この蜂起も松前藩によって鎮圧され、37人のアイヌが処刑されました。
その直後、根室にロシア使節ラクスマンが通商を求めて来航しました。

文化年間には、クナシリ・メナシの戦いで亡くなった和人の墓碑が建立されました。
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明治時代に入ると、明治政府の同化政策により徐々にアイヌ独特の文化は失われていき、チャシも消えていきました。
昭和時代にこのチャシの研究が行われるようになり、根室半島を初め、多くのチャシ跡が発掘・整備されています。
根室市歴史と自然の資料館、根室駅観光案内所、納沙布岬の根室市観光物産センターに100名城のスタンプがあります。

100名城制覇!


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