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旅の終わり [日本100名城めぐり]

日本100名城、5年半の歳月をかけて完全制覇しました。
達成感と、燃え尽き感の両方を感じています。

佐賀市出張のついでに行った佐賀城からスタートしたのですが、あのときはまさか全城制覇する日が来るとは夢にも思いませんでした。
城と一口に言ってもいろいろあって、立派な天守が現存しているところもあれば、石垣だけが残っているところもあり、また、石垣すらなくひたすら山を登って堀切や土塁を見学するだけのところもありました。
特に山城は過酷で、スタンプを集めるだけなら麓の施設で押せばいいだけなのですが、できれば全城域を回る、最低でも本丸には行くというルールを課していました。
高取城と千早城は二日で二山登ったので脚がおかしくなったし、さらに安土城と観音寺城は一日で二山登りました。
郡山城では道を見失って遭難しかけました。

交通手段もいろいろと体験しました。
高遠城に行ったときは飯田線を縦断して秘境を目の当たりにし、松前城に行ったときは青函トンネルをくぐり、四国や九州の城には大阪や神戸からフェリーに乗って弾丸船旅をしました。
乗りはしなかったのですが、津和野と人吉ではSLを見ました。

城には一つ一つ歴史があって、その歴史を自分で撮った写真を交えて紹介しようと思い、ブログで連載を始めました。
記事を書いていると、例えば武田氏館の記事を書いているときは武田信玄に感情移入するし、春日山城の記事を書いているときは上杉謙信に感情移入する、岡崎城、駿府城、江戸城の記事を書くときは徳川氏に、大阪城の記事を書くときは豊臣氏に。
同じように、彦根城の記事を書くときは井伊直弼に、水戸城の記事を書くときは水戸浪士たちに、会津若松城の記事を書くときは会津藩に、萩城の記事を書くときは長州藩に感情移入という感じで、戦争や対立には常に、双方がそれぞれの立場や信念を持っている、その双方の信念を理解することが大切ということがよく分かりました。

各城の城下町では、歴史に名を遺した人物を輩出しているところもあり、その人生を垣間見ることもできました。
華々しい業績を残す前に不遇の時期を過ごしていた人もいますし、大仕事を成した後で非業の最期を遂げた人もいます。
もちろん、戦場で散っていった名もなき兵士もいます。
そういうのにも想いをはせるようになりました。

・・・というわけで、この連載もこれでおしまいです。
読んで下さった皆様、ありがとうございました。

そう言えば、5年半前の自分、一番最初の記事で
「100の城にはそれぞれスタンプが置いてあって、そのスタンプをすべて集めるとどんな願いでも一つだけ叶えてくれるとかなんとか・・・」
とか書いていますが、叶うんですかね?


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