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86番 大野城(福岡県) [日本100名城めぐり]

飛鳥時代、日本がまだ倭国と呼ばれていた頃、大和朝廷は地方行政機関として何箇所かに「大宰府」を置きました。
そのうち九州の大宰府は、主に大陸に対する外交・軍事をつかさどっていました。
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さて、そのころ大陸はどういう状況だったかというと、中国は唐王朝が支配しており、朝鮮半島は高句麗、新羅、百済の三国に分かれていました。
このうち倭国は百済と友好関係を結んでおり、百済を通して大陸の文化・文明を吸収していたのですが、百済は唐・新羅連合軍によって滅ぼされてしまいました。
倭国は百済復興をかけて朝鮮半島に出兵しますが、白村江の戦いで大敗してしまいます。
すると今度は、逆に唐・新羅が倭国に攻め込んでくるのではないかという危機感が生まれてきて、百済からの亡命者の手を借りて西日本各地に防御体制を敷き始めました。
真っ先に標的になりそうな九州の大宰府を守るために、防御のための城として水城(みずき)、基肄城(きいじょう)を、それらが破られたときに大宰府の機能を背後の大野山に移して立てこもるための城として大野城が築かれました。
大野城跡には、現在も建物の礎石跡や、朝鮮式の土塁、石垣が残っています。
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奈良時代には、唐との関係も安定してきたので城としての機能は失われ、四天王を祭る祭事場に変わっていきました。

現在、大野城跡は福岡県立四王寺県民の森として、憩いの場所になっています。
この県民の森の管理事務所および、大宰府展示館、大野城市総合体育館等に100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り78城


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