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5番 根城(青森県) [日本100名城めぐり]

鎌倉幕府が滅亡すると、南朝方に属する武将・北畠顕家は陸奥国司として後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて陸奥国に下向しました。この時、甲斐国(今の山梨県)の地頭であった南部師行も同行し、国代として任じられました。
やがて後醍醐天皇の建武の新政が始まると、師行は糠部郡八森に城を築き、南朝方の根本になるという願いから「根城」と名付けました。
顕家と師行は陸奥国に逃れてきた鎌倉幕府の残党を滅ぼすなどの軍功を挙げますが、やがて南朝方から造反して北朝を建てた足利尊氏と和泉国(今の大阪府)で戦い、敗死します。
師行の後を継いだ弟・政長は、尊氏が開いた室町幕府から再三の降伏勧告を受けながらも南朝への忠義を通すのですが、南朝の衰退とともに南部氏も衰退していきます。
3代将軍・義満により南北朝の合体が成立すると、南部氏8代・政光は甲斐国の領土を引き払って、根城を拠点に南部氏の再興を図ります。
その後は数々の小競り合いを経ながらも、根城は一度も落城することはなく、南部氏は勢力を拡大していきました。

時は下って、江戸時代になると、南部氏は遠野に領地替えになって、根城は廃城となりました。
根城の城門と伝えられる門が、何度かの移築を経て残っています。
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昭和時代になると発掘整備事業が進められるようになり、平成6年には本丸主殿などが復元され、「史跡根城の広場」としてオープンしました。
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広場の料金所及び、併設されている八戸市博物館やボランティアガイドハウスに100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り30城

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