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20番 佐倉城(千葉県) [日本100名城めぐり]

戦国時代、千葉親胤が大叔父の鹿島幹胤に命じて印旛沼のほとりに築城を開始しました。
しかし築城中に相模国(今の神奈川県)の北条氏康の侵攻を受け、親胤は幽閉された上に暗殺されてしまいました。
親胤の従弟の邦胤の代にも築城が試みられましたが、ある新年の祝賀の際、近習の桑田万五郎がおならをしたのを咎めたところ、万五郎が開き直ったので口論となり、その恨みがもとで後日万五郎に刺殺されてしまいました。
そういう訳でまたも築城が止まってしまったのですが、江戸時代に入り、徳川家康の命を受けた土井利勝によりようやく佐倉城が完成しました。
その後は、幕府の要職に就くものが城主を務めるという慣習になりました。

佐倉城には石垣が一切なく、代用天守として建てられた御三階櫓も土塁の上に建てられていました。
しかし、その御三階櫓も文化年間に焼失してしまいました。
sakura1.jpg

明治時代になってからは建造物がすべて撤去され、帝国陸軍歩兵第2連隊が駐屯することになりました。
その遺構も一部に残っています。
sakura2.jpg

戦後は市の史跡に制定され佐倉城址公園となっており、昭和58年に公園の一角に国立歴史民俗博物館が建造されたのを機に、馬出し空堀などが復元されました。
sakura3.jpg

公園の管理センターに100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り55城

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