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91番 島原城(長崎県) [日本100名城めぐり]

安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、肥前日野江藩はキリシタン大名の有馬氏が統治していました。
したがって、領民の間でもキリスト教が広まっており、キリシタン墓碑なども出土しています。
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しかし、2代目の直純の時代に江戸幕府からキリシタン禁止令が出されると、直純は改宗し、キリシタン弾圧側に回ります。
やがて、良心の呵責にさいなまれた直純は幕府に転封を願い出、日向延岡藩(今の宮崎県)に移りました。
代わって日野江藩にやってきたのが松倉重政でした。
重政はキリシタンの弾圧を継続するとともに、自らの居城となる島原城の築城に着手します。
松倉氏の所領はたったの4万石でしたが、石高に見合わない総石垣づくりの立派な城を築いたので、その負担が領民へと跳ね返ってきました。
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重政は過酷な年貢を課し、納められない農民やキリシタンを容赦なく虐殺していきました。
さらに2代目の勝家は重政に輪をかけて残虐な弾圧を行いました。
そしてついに怒りの頂点に達した領民たちは、天草四郎を総大将とし一揆を起こしました。
島原の乱です。
最初の頃は島原城下での戦闘も起こりましたが、やがて一揆軍は原城に追い詰められ、幕府軍に鎮圧されてしまいました。
乱後、勝家は一揆を引き起こした張本人として斬首され、松倉家は改易となりました。
その後島原の地は、譜代大名が入れ替わりで治めることになります。

明治時代になると天守も含めて城内の建造物は破却されました。
しかし昭和35年以降、櫓や天守が次々と再建されていき、城跡公園となりました。
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天守の受付窓口に100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り51城
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