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6番 盛岡城(岩手県) [日本100名城めぐり]

桃山時代、陸奥国北部を領有していた南部氏の信直は、嫡男の利直に命じて、不来方城を築城しました。
信直の死後勃発した関ヶ原の戦いでは利直は東軍に付いたため、徳川家康から本領を安堵され、さらなる城の改築を行いました。
江戸時代の初期には総石垣の城が完成し、利直は「不来方」を「盛岡」と改名して、城の名前も盛岡城になりました。
三の丸を整地した時に見つかった巨大な岩が、烏帽子岩として城内の櫻山神社に祭られています。
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幕府への遠慮から天守は築かれず、御三階櫓を代用天守としていましたが、天保年間に12代藩主・利済により天守と改称されました。
現在は天守台のみが残っています。
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明治時代になると、城内のほとんどの建造物は解体されました。
この建物のなくなったお城に、盛岡在住の石川一少年はよく学校をさぼって昼寝をしに来ていました。
この少年は後に「啄木」というペンネームを名乗って、「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」という短歌を発表しました。
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明治39年にはこの土地は岩手県に貸与され「岩手公園」となり、現在も多くの人が訪れる公園となりました。
公園内のもりおか歴史文化館および隣接するプラザおでっての観光案内所に100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り27城


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