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13番 白河小峰城(福島県) [日本100名城めぐり]

南北朝時代、結城親朝が小峰が丘に築城して小峰城と名付けました。

桃山時代に、豊臣秀吉の奥州仕置によって結城氏が改易されると、代わって蒲生氏郷が入ってきました。
しばらくすると上杉景勝が入ってきますが、秀吉亡き後に勃発した関ヶ原の戦いで石田三成が敗北したことで景勝は追放され、氏郷の息子・秀行が入ってきました。

江戸時代の初期、丹羽長秀の子・長重が入城すると、城郭の大改造に着手します。
その後白河小峰城の城主は親藩・譜代大名が目まぐるしく交代しますが、最終的に白河藩は幕領に、城郭は丹羽氏の預かりということで落ち着きます。

江戸時代を通して、白河藩からは老中を多数輩出します。
そのうちの一人、徳川吉宗の孫でもある松平定信は、寛政の改革を行いました。

明治になって戊辰戦争が始まると、会津に向けて進撃する新政府軍は白河小峰城を攻撃しました。
白河小峰城では会津藩家老・西郷頼母が指揮を執っていましたが、あまりの兵器の性能の違いに歯が立たず、すぐに落城してしまい、多くの建造物が焼失してしまいました。

時は下って、平成3年、三重櫓が復元されました。
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また、平成6年には前御門が復元されました。
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しかし、平成23年に発生した東日本大震災では、石垣が大規模に崩落するという被害を受け、復旧作業が進められています。
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三重櫓および、城内にある白河集古苑に100名城のスタンプがあります。

100名城制覇まで残り13城


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